家族ゲーム未満


 なにはなくとも、現代人にはケータイは必要…

 現代人にしては今更ながら、そう思うカイジである。

 一応、本格的な就職活動…とまではいかなくとも、バイトの面接は受けている。受けてはいるが、『即決』を謳っているところでも、最低限、現在連絡のつく電話番号は必須…例えばコンビニ等、販売系のバイトなら特に、たとえば学生バイトはいきなりシフトに穴を開けることがままあるので、急なシフト変更の時の連絡先は、店側としては必要不可欠な個人データーである。

 できるだけ、『住み込み』やら『社宅あり』のところを狙って面接を受け、なんとかごまかして「採用」の一言をもぎ取っても、その直後に連絡先電話番号がないことで断られること数件…金がないから住所不定なのだが、住所不定だと、最近はプリペイド式ですら申込書に、住所と固定電話の番号くらいは必要なので、ケータイは買えない…連絡先がないと仕事も決まらない…仕事が決まらないと金が入らず、住所不定状態は続き、目減りする金…

 悪循環はどこかで断ち切らねばなるまい。

 せめてもう少し、自分がまっとうになるまでは帰りたくない…などと思いつつも、とりあえず現代人の情報ツール確保のためには仕方がないと、しぶしぶながらカイジは、実家に連絡を取ることにした。


 ギリギリ東京都に属するとはいえ、カイジの実家は都心を基準にすると、お父さん方なら朝の通勤に2時間近くかかる郊外の、古めかしい公団住宅である。

 夕刻、古めかしい鉄のドアの前に立ち、カイジはブザーを押すか押さざるべきか、この期に及んで逡巡している…実は前日に、電話は入れてある。なんとなく気まずいとはいえ、実家である。なにやら気温も冷え込んできたことだし、帰ってきたのなら普通なら「ただいま」と家に入ればいい。だが…

 大学を中退し、ふらふらするようになってから2年近く…最初は気まずさから、そのうち帝愛と関わるようになり、家族に累が及ぶことを恐れ、こちらからは何の連絡もしていない。にも関わらず、電話に出た姉はカイジが『事故』で指を落としたことを知っていたのである。

『あんた何にも言わないから、大学辞めた後、曲がりなりにもちゃんと工場に勤めてたなんて、知らなかったわよ。ちゃんと手術は労災が降りたって聞いたけど、まだ動かないの?指…』

これは昨日の電話での姉の弁だが、どうやら実家には工場での勤務中の事故で、指を落としたことになっているらしい。一体誰が…人の不幸を娯楽とする、あのジジイの差し金とは思えない。帝愛側でも『優しいおじさん』ならあるいは?いや、あの人とはあの時一度きりだから、おそらくはない。45組の誰かか?でも実家の場所は教えていない。坂崎のおっちゃんも悪い人間じゃないが、そこまでするタイプでもない…じゃあ誰?

そのことだけでも、躊躇するには充分だが、カイジの気を重くする要件がもう一つ…

姉がやけにうきうきした声で、『紹介したい人がいるの』なぞとのたまったのだ。

姉は適齢期もやや過ぎているから、そういう男がいてもおかしくはないだろうが、そんな局面で、自分は一体、どう振舞えばいいのか…

最初は、長期間まともに会ってないのに、いきなり電話だけで『ケータイ買うのに住所と電話番号貸してくれ』と、用件伝達だけで済ませるのもどうかと思い(そもそもそれなら今どこに住んでいるのかという問題になり、話は母親の説教のみで、なんの実りもなく終わりそうだ)、心ばかりの手土産片手に来訪するつもりではあったが、「紹介したい人がいる」と聞いて、急速に萎える心…だが、もしヘンなヤツに騙されているようだったらと思うと、今、紹介されておいた方がいいのかもしれないと、いやいやながらも実家に帰ってくることにしたのだが…

肩がずしりと重くなるが、あまりいつまでも部屋の前に立っていると、同じフロアの住人に通り過ぎしなにじろじろ見られ、その視線もかなりうとましいが、うっかり顔は知ってるおばちゃんに声をかけられてもうざいので、あきらめてカイジは部屋のブザーを押した。

中で人の気配はするが、なかなか家人が出てこない。手持ち無沙汰でなんとなくドアノブを回してみると、無用心にも鍵は開いていた。

玄関を見れば、男物の黒い革靴…姉の『紹介したい人』とやらは先に着いているらしい…それにしてもこの靴、なにやら見覚えがあるような…基本的にありふれたデザインの紳士靴なのだから、気にする必要もない気はするのだが…

玄関の人の気配に、ようやく姉がパタパタと駆けて出てくる。

「お帰り」

華やぐとはこういう表情をいうのかも知れない。少なくとも自分は姉の、こんな鮮やかな笑顔は見たことがない。

『姉』という肉親だったものが、いきなり『女』という生き物に変貌したかのように見える。それが男の存在を感じさせて、なにやら生々しい…なんとなく気まずく「ただいま」と言いかけ、カイジは姉の肩越しに見える姿に愕然とする。

暖簾をくぐり、のっそりと姿をあらわした男は…

「え…遠藤っ!?」

反射的に思ったことは取立てだが、少し冷静になれば、とりあえず今の自分に負債はない。だとすれば…

カイジの背を嫌な汗が伝う。

「元とはいえ、上司だった人を呼び捨てにするなんてないでしょ?カイジ」と、姉。

「これからは『お義兄さん』と呼ばないといけないけどねぇ…」と、奥からの声は、玄関のやり取りが聞こえていたらしい母。

お義兄さんってことは、姉ちゃんの紹介したい人って…

ぐにゃぁ〜っと、カイジの目に映る世界が歪んだ。


帰って早々、狭いダイニングは食べる準備万端だったため、自分の部屋でろくに体を落ち着けることなく…いや、自分が出て行ってからすっかり物置と化していたから、くつろぐ気分にはなれなかったが…ともかく、即夕食。

食事中、カイジは自分からはできるだけ何もしゃべらず、ひたすらに情報収集と、勝手に設定されている自分の身の上話の整理に専念する。

不審がられぬ程度に適度に相槌を打ちつつ、仕入れた情報を整理すると、次のようなことになっていた。

カイジは食品工場に勤めていたが、作業中、うっかり機械で手をはさみ、左手の指を4本切断してしまった。切断された指が機械の奥に入ってしまい、機械を解体するハメになったが、その際、部品の一部が飛んでしまい、まだそのそばにいたカイジの頬やら耳にまで傷がついてしまった。

ともかく労災なので、指を手術でくっつけたものの、そのときのトラウマが大きく、カウンセリングを受けつつリハビリ中のカイジは休職扱いになっている。

様々な費用負担を会社で持つこととなったが、なにぶん食肉系の食品工場なので、『加工肉に従業員の指が混じってる』などの得体の知れない風評が広がっては企業としてダメージを受けるので、公にならない形で…と、まとまった金を本人に渡そうとしたが、本人は事故の揉み消しを計っているのだと邪推して、受け取りを拒否したため、実家に金を持ってきたのが、直属の上司ということになっている遠藤(これが話を総合すると、カイジが遠藤の手によって、地底に落とされた時期とほぼ同時期…)。

やはり口止め料のように思えて、頑なに金の受け取りを拒んだ母と姉だったが、遠藤の真摯な態度に打たれ、結局はその金を慰謝料として受け取る。

 それからしばらく、遠藤とは交流がなかったが、数ヶ月前偶然姉が遠藤と出くわし、その後、なんとなく会うようになり…

なんなんだっ!?その三文芝居はっ!?

実家を離れて、コンビニ弁当やらスーパーのお惣菜やらレトルト食品やらの強い味に馴らされた舌には、母の薄味の手料理は幾分物足りなくもあったが、懐かしい味には変わりない…だが、一応、母の味だとわかるのに、柔らかく煮てあるおでんの大根ですら、なにやら砂を噛んでいるようだ…現代人にありがちな亜鉛不足というより、間違いなくストレス。

指の縫い目の説明は、自分が冷や汗をかきつつ作り話をする手間が省けたから、まぁよしとしよう。これから住所を貸してくれだのいう話をするときも、会社を辞めるとき、寮をひきはらわなくちゃならないからとか、つくり話もしやすくなるし…仮にも前途ある若者をだまくらかすようにして、大借金を背負わせた挙句(半分は自業自得だが)、地底の強制労働施設に突き落とした罪悪感から、せめて実家に償いのつもりで金を届けることにしたということなら、まだわかることにしてもいい…だが、なんで、よりによって姉ちゃんと婚約っ!?二股…なのか?いや、でも一度やったあと、俺、しばらく音信不通だったし…でもそっちからあんなことしておいて、それはないだろ!?遠藤っ…

恨みがましい視線を隣に座る遠藤に送りかけて、あわてて逸らし…ということを何度も繰り返し、ふと気がつくと、自分の向かいの母と目が合う。息子の態度から、カイジがこの結婚に反対しているものと、かなり心配そうだ。

母親としては、適齢期を幾分過ぎた娘には早くいい人と一緒になって欲しいという、彼女にしてみれば切実といっていい願いがある。遠藤は年が離れているとはいえ、(母親から見れば)人柄も良さそうで、それなりに経済力もありそうである。なにより、社会適合性において、幾分、周りとなじめないところのある息子にも親身になってくれているようなので、母としては申し分のない相手である。

母から見た息子の態度は、自分の不注意で大怪我したにも関わらず会社を恨み、そして身近な上司である遠藤が当たりやすいため、ともかくすることなすことが気に食わないだけだと思っている。母子家庭で子ども二人育ててきた苦労人の母も、ごくごく一般的な人間なので、よもや息子と娘の婚約者が数ヶ月前、ベッドを共にしていたことなど、当然知る由もない。

「遠藤さんはね、さらにもうちょっと郊外になっちゃうけど、結婚したら2世帯住宅建ててくださるって言ってらっしゃるのよ?あんたの部屋も作ってくれるって」

身内がゴネれば、当人同士はどうあれ、後々トラブルの元…母としては息子の了解を得るのに必死だ。最初は母親も、遠藤の2世帯住宅案は戯言だと思っていたが、どうやら本気だったらしく、もうちょっと郊外…というより平たく言えば都外であるが、すでに気の早いことに遠藤が購入した土地の権利書だの、バリアフリーな2世帯住宅の設計図だのを、カイジが到着する前に見せられているので、『あんたさえOK出せば、すぐにゴールインの段階まで来てるのよ』と、暗にそして真剣にアピール。笑顔なのに目が笑っていない。

カイジが驚いて遠藤の方を見るが、遠藤は黙々と飯を食うだけ。
 ふと、自分以外の遠藤を見る視線に気づけば、それは遠藤の向かいに座る姉のものだ。これがもう、すっかりめろめろ状態。マンガのように目がハートになってないのが不思議なほどである。今にも世のバカップルの如く『遠藤さん、あーん』とか、やりかねないのが恐ろしい。

いたたまれなくなって、カイジは乱暴に立ち上がる。弾みでガチャンと食器が音を立てた。

「俺、風呂入るから」

母が「ああ、お風呂はお客様から…」と言うのに対して、遠藤が慌てる様子なのを見ると、少なくとも今まで家に泊まったことも、また遠藤としては今日も泊まるつもりはなかったらしい…とりあえずは家族公認の深い仲というわけではないことはわかるが、今のカイジにとっては、なにもかもが同じことであった。


ちゃぽん…

水音が反響する。

洗い場は狭いが、その分、共同住宅タイプの浴室にしては、湯船は広めの方だ。そういえば自分が住んでたアパートの湯船は、ほとんど体育座りじゃないと、全身浸かれなかったなぁ…などとぼんやり思い返して、はぁ〜と、天井を仰いでみる。

今にして思うと、ボロいアパートでも、自分の城だった。風呂場でリラックスすることはできなくとも、少なくとも自分ひとりのための居場所だったのだ。

仮に遠藤が本気で姉と所帯を持ったとして、本気で母どころか自分の部屋まで準備したとしても、すでに物置と化している今の自室と同じように、それは自分の居場所ではない…そんなこともわからぬ男でもあるまいに、遠藤は一体、なにを考えているのかっ

一人むかっ腹を立てつつ、同時に『新居で姉のいるベッドを抜け出して、自分の所へ忍んでくるのを待っている自分』という構図を思い浮かべて、温かい湯の中にいるのに薄ら寒くなるカイジである。

いきなりガラリと、すりガラスの引き戸が開いてカイジはギョッとした。

「なっ…」

遠藤である。

脱衣所でがさごそやっていれば、普通気づきそうなものであるが、考え事をしていたカイジは、すっかり注意力が散漫になっていた。本能的に侵入者に対して距離を取ろうとして、湯船の隅に方で江戸時代の生娘のように身を縮める。

「未来のお義兄様が背中でも流してやろうと思ってな」

捕まえたネズミを弄ぶ猫のように、闖入者は楽しそうだ。

「だっ…誰がお義兄様だっ!だいたい母さんの方に年は近いくせにっ」

「いや、ギリギリお前のおふくろさんより姉ちゃんの方に年は近いぞ?」

遠藤は少々心外という顔をする。

「そういうことじゃなくてっ!…いい。俺が出るからどけ!この間テレビで見た『義理の父親に言い寄られる娘』の気分なんだよ、俺はっ!!」

怒り半分、虚勢半分で勢い良く浴槽から立ち上がったカイジを、遠藤は壁に押し付け、にやりと笑う。

「そんなたとえ方されると、ご期待に応えたくなるだろう?」

 カイジにだけ聞こえるよう、耳元で囁くと、遠藤は噛み付くようにカイジのくちびるを奪う。

 カイジが暴れたために波立った浴槽の湯も沈黙し、時が止まった。

 数分後。

 パー…ンッといい音が響き、静寂が破られる。

 カイジは無言で、乱暴に湯船から上がると、足早に浴室から出て、やはり乱暴に引き戸を叩きつけた。

 後に残された遠藤は、ヒリヒリする自分の頬に手をやった。

 「久々に会ったのになんてぇ挨拶だ」

 言葉とは裏腹に、まるで自身の頬が痛みを与えたカイジの手であるかのように、愛おしげにさする。

「まぁ、あっちにしてみりゃぁ、とんでもねえご挨拶は俺の方なんだから、おあいこだがな」

ロクに体も拭かずに、腰にタオルを巻いただけの状態で、逃げ出すように飛び出したカイジを姉が見つけたのか、なにやら言い争う声がする。姉の勢いに呑まれ、狼狽するカイジの様子が手に取るようにわかり、遠藤は小さく笑った。


ベッドは以前、住んでいたアパートに引っ越した際に持っていったため、カイジはガラクタに占拠され、床面積が乏しくなったかつての自室に布団を敷いた。

自分の通常の日常を思えば、恐ろしく早い就寝時間となるが、今は家の中の誰と顔をつき合わせても気まずい状態である。そういう時は早く寝てしまうに限るのだ。
 いっそ自分のテリトリーに逃げ帰ってしまいたいが、一応心ばかりの手土産と、交通費で現金が減ってしまったので、目的の完遂と、せめて翌日の昼食は実家で食べていかないと、さすがに財布がつらすぎる…というあまりになさけない理由で、留まらざるを得ない。

ただ、灯りを消して布団をかぶったところで、眠れはしないのだが…

余分な部屋のないこの公団住宅で、姉の婚約者が泊まるとなれば、遠藤が眠るのはやはり姉の元だろう…カイジの頭の中は、もはや本来の目的である『携帯電話の確保』どころの騒ぎではなく、もはや遠藤のことで頭がいっぱいである。

数ヶ月前には、だまし討ちで抱かれ…だが、遠藤に望まれたのは自分だ。それがほんの少し会わないだけで心が変わったのか?…いや、自分と関係する前に、金のやり取り云々で何度か姉と面識があるのなら、自分が姉の代用品だったのかもしれない。男と女では体はぜんぜん違うが、顔なら面影はあるだろう…

自分の体を愛撫する手、抱きしめられたときのぬくもり、そして自分の中に押し入ってくる遠藤自身の熱さ…開けてはいけないパンドラの箱を開いたように、体が覚えている遠藤の記憶がすべて引き出され、火のついた己が劣情と、それらがすべて姉のものになってしまうという嫉妬から、カイジは悶える。

思い出したくもないのに、先ほどの自分を翻弄し、ねじ伏せる情熱的なくちづけを思い出し、思わず我が身を抱きしめる…あと10秒、理性を総動員して遠藤を叩くのが遅れたら、カイジは完全に腰砕けになっていた。

「…っくしょう…姉ちゃんがいいんなら、なんであんなことするんだよっ」

これ以上心の内に溜め込むと、どうにかなってしまいそうなので、小声で罵倒してみるが、ただ切なくなるばかり。こんなことがいつまで続くのかと、そら恐ろしくなる。本当に遠藤と姉が結婚したら、気が狂ってしまうかもしれない…

気づけば涙ぐんでいて、ぐしっと目を擦ったところで、入り口から光が差し込む。

「なんだ、もう寝ちまったのか」

遠藤だった。

なにやらガチャガチャいわせているところを見ると、飲み物でも持ってきたらしい。後ろ手に引き戸を閉めると、よっこいせと座りこむ。

「おふくろさんからビールもらったから、久しぶりに一緒に一献と思ったんだがな」

言いながら直接盆を床に置いた。

しばし沈黙…

遠藤はおもむろに、肉食獣のように慎重に這い進むと、カイジの布団に潜り込む。ガバッと起きるカイジ。

「んだよっ!!姉ちゃんのトコ、行けばいいだろっ!!」

「…起きてるなら晩酌ぐらい付き合ってくれてもいいだろうに…だいたい嫁入り前の娘の部屋に泊まるわけにはいかんだろが?」

嫁を迎える前のストレートのしかも童貞の男にあんなことをしておいてよくも言う…言い返したいが、怒りにまかせてこの場でそんなことを怒鳴ったら、姉と母に筒抜けになる…それくらいの理性は働いて、適当な言葉が出ない。かろうじて

「なら布団敷けよ。そこの押入れに入ってるから」

とだけ言って、遠藤に背を向けて横になるが、遠藤は動こうとはせず、カイジの髪をもてあそぶ。カイジはもう、いちいち目くじらを立てるのにも疲れ果て、ほおっておけば遠藤に抱きつかれた。

「うざったいからやめろっ」

「お前の家族もいるのに、こんな壁の薄そうなところで、なんかする気はねぇよ…お前、そんなに俺に触られるの、イヤか?」

拘束されたあげく無理矢理されたのだから、本来なら、触るどころか半径50m以内に存在を認めただけで、拒絶反応を起こしてもおかしくはないと思うのだが、イヤどころか…なカイジである。答えれば相手の思惑にはまってしまいそうで黙っていれば、遠藤はただカイジの体を抱きしめ、時折首筋に触れるだけのキスをする。

伝わる遠藤のぬくもりが、ゆるやかにカイジを煽る。自分の心臓の鼓動が次第に大きくなるのが気になり、いろいろ問い詰めたいこともあるのに、考えが上手くまとまらない。

ふ…と、懐かしい香りが鼻先をかすめた気がした。自分がすごした部屋なのだから、懐かしいのは当たり前だろうが、それでも、長年嗅いでいないのに、確かに懐かしい匂い…それも、次の瞬間には消し飛ぶのだが。

「っ…そういうことがしたいんなら、姉ちゃんのトコ、行けってっ」

硬く、熱を帯びた遠藤のそれが、布越しにカイジの腰のあたりをつついたのである。

「ほおっておけばそのうち収まるもんだって、お前も男ならわかるだろうが。大体、夏もとうに過ぎてるのに、お前がTシャツ1枚ににパンツ一丁なのが悪い」

「俺が寝るときどんな格好しようが、勝手だっ」

遠藤にとって、カイジとの軽口の応酬は、すこぶる楽しいものらしい。小さくクククッと笑っていたが、やがてそれが収まると、今度は少し寂しそうに囁く。

「……お前、本当に俺が姉ちゃんのところに行ってもいいのか?」

言葉にならなくとも、詰まらせた声がすべてを物語った。

ずるい。知っていてこの男は、そんなことを言ってるのだ…
 本気で腹を立てているなら、拒めばいい。なのにそれもできず、結局はなされるがまま。とりあえず今夜は本当になにもせず、ただ、抱き枕のように抱きしめてるつもりのようだが、それでも翻弄されるのは自分、ただ一人。

どうして自分にこんな思いを味あわせるのかとひたすらに恨めしく、それでも心の裏側では最悪の状態とはいえ、それでも会えたことと、遠藤が姉の元へ行かないことがうれしくてたまらない。カイジの心の中は複雑怪奇…だが、体の感情表現は、結局シンプルだったようである。
 じわりと情欲に押されて、カイジのそれもやはり熱を帯びて強張りはじめている。

自分もそんなことになっているなどとは、まんまと罠にハメられたような気がして、絶対に気づかれたくはない。だが、このままでは、本当に遠藤がなにを考えているのかわからない…嘘やら作り話には長けている相手とはいえ、表情からは何か読み取れるはず…

「少し腕、緩めてくれよ」

ぎゅうぎゅうに自分にかかっていた圧力が軽くなり、カイジは体をひねって遠藤の方に向き直る。

ふわ…っと、また、先ほどの懐かしい匂いが香った気がした。

おりしも雲で翳っていた月の光が、カーテン越しにほの淡く室内に差し込む。

動いたためにかけていた布団がずれ、闇に馴れた目には、遠藤の着用しているパジャマの柄がおぼろげにわかる。そして香りの正体もわかった。

遠藤が着ていたのは父のパジャマ。急に(しかも女たちによって強引に)宿泊することが決まったので、たまたまサイズの合った父親のものが貸し出されたらしい…むろん、洗濯済みであろうが、やはりかすかな匂いは、確かに父のものである。

ふと、恐ろしくなった。

父の魂が見ているような気がしたのだ。姉の幸せを祝福できない自分を責めているのではないか…と。

ありえない。おそらくは自分の作り出した幻臭…そうは思っても、打ち消せないものがカイジの中にはある。と、同時に、腹立たしくもあった。どうして自分だけが責められなくてはならないのか?

遠藤との関係は確かに世間一般に知られれば、後ろ指を差される類のものである。だがそれは、二人一緒に受ける無理解。なにがあっても二人で乗り越えればいい。だが、今は違う。遠藤がなにを考えているのかは知らないが、少なくとも今、苦しんでいるのは自分ひとり。

せめて父の亡霊を遠ざけたかった。そして、遠藤がなぜか穏やかな顔をしているのも、やけに気に障り、困らせてやりたくなる。

「…それ、脱げよ」

「?…どうした?カイジ」

「すっきりさせてやるから、脱げって言ってんだよっ」

ひそひそと、でも乱暴な口調でそういい捨てると、カイジは遠藤の反応を待たずにパジャマのボタンを外してゆく。気が昂ぶっているせいか、すべて外し終えるのになかなか時間がかかった。

脱がせてみて、それでも父の残した衣服であることを考えると、その辺に投げておくこともできず、ついその場に正座して、なにやらきちんとたたんでしまう。パジャマの下は遠藤から手渡されてしまい、なにやらひどくバカバカしくなりつつ、これもたたみ、視界に入らぬ部屋の隅の方にそっと置く。

一度立ってしまうと、少し頭が冷えて、後悔めいた感情が芽生えてしまい、遠藤の待ち受ける布団に戻るのもおっくうになるが、大見得を切った手前、することはせねばなるまい。

かったるく布団にもぐりこめば、遠藤に「こら」と、たしなめられる。

「人様の着ているものを追い剥ぎみたいにぶん取っておいて、それはないだろうが」

カイジはほとんどヤケクソでTシャツを乱暴に脱ぎ投げ、トランクスも足首までずらして、布団から蹴り出した。

「これでいいだろっ!?」

ふくれっつらで遠藤を押さえつけ、二人の体が隠れるようにすっぽりと頭から掛け布団をかぶると、カイジは遠藤の下半身に体を移してゆく。

てっきり手で慰めてくれるものだと思っていた遠藤は、カイジのしようとしていることを知り、狼狽した。

「お…おい」

「鍵なんかない部屋なんだからな。絶対、変な声出すなよ」

密やかなやり取りを打ち切って、カイジは一瞬、息をのむと、すっかり潤みきっている遠藤の先端に舌を這わせた。

常々、自分が男のナニを口にほおばることなど、絶対ムリ…と思っていたカイジだったが、かすかに苦いようなしょっぱいような透明な体液の味は、海水に近いといえば近いような味で、想像していたよりすごい味ではなく、また、遠藤がこらえながらも時折もらしてしまう、微かな快楽の呻きが、カイジの中に残っていた抵抗感の防壁を瓦解してゆく…瓦解されたあとに芽生えるものは、遠藤の快楽を支配しているという、どこか歪んだ充実感…遠藤に優しく頭を撫でられていると、いっそうそれが深くなる。

自分で触ってるわけでも、まして相手に愛撫を受けているわけでもないのに、カイジのそれも、遠藤に呼応するように、さらに充実してゆく。

自分が不思議だった。

なにかのきっかけで、姉か母かのどちらかが部屋に入ってきたらアウト…自分は正真正銘すべてを失う。なのに、やめられないどころか、自分でクギを刺しておいたのに、遠藤に声を出させてみたくてたまらない。

一度、遠藤のそれから口を離すと、カイジは自分の指を口に含み、濡らした。

遠藤の奥に軽く指先でノックすると、遠藤が「うっ…」と声をあげる。

「ダメだ、それは…」

「なんで?遠藤さんも前にしてくれたよね?人にしといて自分の番になるとダメってのはないなぁ?」

先ほどの揚げ足を取ると、遠藤の内部にいたる門をじわじわと攻めて突破する。遠藤の快感のツボを指先で探りながら、カイジはまた、遠藤の分身を口に含んだ。

確かに一度交渉を持った際、これが最後と思い定めて、カイジにいろいろとしたことはした。なので、これも遠藤がカイジにしたことのうちではある…が、遠藤としては、カイジに風俗嬢の真似事のようなことはやめさせたい。だが、状況的に強く叱りつけるわけにもいかず、また、心地よすぎる刺激に、理性はとろけて流れてしまう。

ただの風俗嬢に受けてるサービスなら、ここまで感じたりはしない。テクニックは皆無に等しくとも、惚れている相手がここまでしてくれるということ自体に、遠藤は昂ぶる。カイジに言われるまでもなく、ここにいる限りは妙な声を出すわけにはいかないが、吐息を殺すこともしんどい。

「ひっ…!?」

と、いきなり、遠藤自身の胴の部分を中心に鋭い激痛が走る。甘噛みというレベルより強く、噛まれた。

「ばか、よせ」

男の急所への致命的な攻撃には、さすがの遠藤も耐えられず、なおも噛むことをやめないカイジの髪を強く引き、引き剥がす。

「…使えなく、なっちゃえばいいんだ」

「は?」

「だって、これが姉ちゃんの中に何回も出たり入ったりして、そのうち子どもができたりしたら、俺、どうしたらいいんだよ?…やだよ…もうぐちゃぐちゃ考えるの」

ぽとりぽとりと温かいしずくが遠藤の太腿に落ちる。カイジの感情は臨界点を超えてしまったらしい。

カイジは言葉で詫びる代わりに、うっすら血のにじむ場所へ今度は優しくくちびるをつけ、柔らかく舌でなぞる。

内部のポイントを刺激されながら、痛みを甘い疼きに変えられてゆき、遠藤の欲求は限界に近づく。

せめて口の中に出してしまうのは避けようと、遠藤はカイジの頭をはがそうとするが、カイジは離れずあろうことか、絶頂の瞬間に強く先端を吸い上げた。

「あぁ…」

桃源郷へと魂が吸い上げられるような心地である。絶体絶命のような痛みの後であるから、なおのこと…

あとはカイジの体を引き寄せて、抱きしめたまま眠ることができたら、もう死んでも良かった。

カイジは、最初とは打って変わってひたすら苦い液体を、無理矢理飲み込んだために、咳き込んでいたが、それが収まると、もう、衝動というしかない感情に駆られ、余韻に浸る遠藤の腹に馬乗りになると、自分のそれをしごきあげる。ずっと切羽詰っていた欲望は少しの刺激であっけなく破裂し、白い飛沫が遠藤の腹を、胸を汚した。

ぼろぼろ泣きながら、カイジは自分の所有のしるしをつけるように、自分の吐き出したものを、指先で遠藤の肌にぬるりと広げる。

ホテルや自宅…ともかく他者の入ってくる心配がなく、風呂も自由に使える環境であるなら、カイジの好きにさせておくがどころか、むしろ思う様むさぼりたい遠藤ではあるが、さすがに人様のテリトリーである。一度風呂に入ったのに、もう一度…というのも不審に思われそうであり、また、夜が明ければ家人と顔を突き合せねばならないのに、淫靡な匂いを放っておくわけにはいかない。

少し理性の戻ってきた遠藤は、男の白い欲望は乾くと取れにくいことを経験的に知っていて、ほぼ無意識的に手を伸ばし、枕元のティッシュを探る。

拭き取ろうとする遠藤の手を押さえて、カイジは遠藤の体に舌を這わせ、自分の放った欲望の後始末を始めた。

あんまりかわいいこと、してくれるなよ…

遠藤は内心、頭を抱える。

最初のように、ただ抱きしめて眠るだけなら、収まるのを待てばよかった。むしろ自分に凝る熱を楽しむ余裕すらあった…だが、ここまで煽られると、今度はカイジも望んでいることだからと、本能に自分を委ねたくなる…カイジが何もかもをなくしてしまうのを承知で…だ。

そうならないよう、遠藤が頭を冷やすのに思い浮かべたのは、カイジの母と姉の顔である。
 美人の親子を冷却水に使うのは、なにやら失礼な話だが、カイジの縁者でなければ、おそらく遠藤とは一生かかわりのない人種だろう…二人ともおそろしく堅実。そして清潔なのである。実のところ、気の強い美人であるカイジの姉は、好みでいえば遠藤のストライクゾーンにあったが、やたらクリーン…言い換えると色気に欠ける。

金の管理人が欲しかったなんて言ったら、それはそれでこいつ怒るんだろうなぁ…

そもそも、一度目はカイジを地獄に突き落とした罪悪感に駆られ、せめて家族には金だけでも…と思い、接触した。本当ならそこで終わるはずだった。

だが、カイジは予想外に早く地上に戻り、行動を共にするうち押さえつけた感情に火がつき…裏切ってもまた寄ってくるカイジに、強引に体の関係を持った。そのときは遠藤と同じ意味で、多少は慕ってくれているらしいこともわかった。だがそれが、防衛本能による感情のすり替えでないと、誰が言えようか。

本当に両想いでないのなら、やはり自分はとんでもないことをしたことになる…ならば、せめてカイジから巻き上げた金くらい返してやりたい。だが、直接返したならば、結局はまたギャンブルで溶かしてしまい、遊戯場だけがほくほくするのは目に見えている…恋に狂っても遠藤という男、こと金の扱いに関しては、いくら惚れた相手であれ、カイジに対してはまったく信用がないのである。

ならいっそ、刷り込みだとしても恋愛感情をもってくれたのなら、自分で囲い込み、金の管理も自分で行い、ときおりこづかいを与えれば良さそうなものだが、そんな愛人的な立場でカイジが納得するとは思えず、また、そうなった場合、遠藤は自分に信用を抱けない。
 もし遠藤金融が傾いたりしたら、自分が管理しているはずのカイジの金に手をつける…それだけならまだしも、カイジと引き換えに会社を救ってやると言われたら、カイジ自身を差し出してしまうかもしれない…自分ひとりならとことん地獄に落ちてもかまわないが、その場になると会社の代表者としては、従業員の生活をやはり考えてしまうだろう。

ならば…

カイジにとって一番信用できる人間…家族ならばどうだろう?

一応調査したが、自分が『会社からカイジへの慰謝料』として押し付けた金に手をつけた様子はなく、生活レベルが急激に向上したということもない。おそらく母親は娘と息子が生まれたときに、子どもたちの名前で通帳を作りコツコツと蓄え、彼らが成人したあとでも、『結婚式の資金にでも』と、その習慣を続けるタイプである。大金が入って分け前を巡ってこじれるタイプではない…理想的な金庫番だった。

だが、それにも問題はある。カイジへの見舞金として追加で渡すには不自然なのだ。

いろいろ思い悩んでいた際に、カイジの姉と出会ったのは偶然であるが、半ば必然でもある。どうしたものかと考えながら、カイジの実家の周りをうろうろしてれば、相手の生活圏内なのだから、会ったとしてもそれほど不思議ではない…だが、彼女にしてみれば運命的な再会であったようだ。

どうやらカイジの姉は、遠藤に好意を持っていた。最初に喫茶店でお茶を飲み、他愛のない会話をして、別れるときには次に会う約束が決まっていた。

職業柄、人の心を誘導するのは得意である。だが、遠藤にとっても楽しいひとときではあった…カイジの話が聞けるからである。昔どんな子どもで、何が好きなのか。初恋はいつなのか…『二人の共通の話題』の域を超えて、だが彼女には気づかれぬよう、遠藤はカイジの情報を引き出していた。

そして、おそらく姉として知っている、カイジの過去をすべて吐き出した頃に、ベッドはおろかキスもまだないのに、婚約…思いのほか、自分の想像以上に物事が早く進んで、遠藤自身も驚いたが、目論みどおりにコトが進んでいるのはありがたいことである。

『カイジの部屋』もある家を作っておけば、無一文で職が決まらずカイジが行き場をなくしても、戻ってくる家はある。あとは結婚後、できるだけ早く自分が原因で離婚すること…慰謝料と言う形であくまで『カイジの姉』に渡すことになるが、それでも伊藤の家に金は入る。そうすればいくらかはカイジの元に回るかもしれない…

 遠藤は本当に、カイジのことしか考えていなかった。

 「…の…なのに…おれの…なのに…」

 今も、子どもさながらに泣きじゃくり、途切れ途切れに自分の所有権を主張しているカイジがかわいくてたまらない。もういいからと、遠藤に比べれば華奢な体を抱きしめると、キスをした。微かにカイジの味が残っている…その味を求めるように、奥まで舌で長々と探っている、カイジはやがて、くたりと弛緩する…浴室で見せたような拒絶の影はどこにもない。

 「あんたなんか…あんたなんか、姉ちゃんを幸せにできないくせにっ…」

 長いくちづけの後、カイジは遠藤と視線を合わせず、そうなじるが、実際その通りなので、遠藤は黙ってカイジを抱き寄せて、ただただ髪を撫でる。いっそ、本当にすべてを捨ててもいいと、カイジが思っているのなら、自分もすべてを捨てて、カイジをさらってしまってもいいが、カイジはきっと選べはしないだろう…

 とにもかくにも、金の管理人が欲しくて、ついでにお前と一度でいいから家族になってみたくて、お前の姉ちゃんと結婚することにした…とは、口が避けても、絶対に言えない。

 自分は結局、誰も幸せにできず、一生を終えるのかもしれない…そう思うと、遠藤は少し切なくなった。


どんなに泣こうと切なかろうと、地球が太陽の周りを回っている限り、朝は来る。

トントントントントンと、リズミカルな包丁の音で目が醒めると、遠藤はいなかった。自分もあわてて服を着てダイニングに向かえば、夕食時と同じ椅子に遠藤が腰掛けている。姉とも顔をあわせづらいので、帰ってくれていたほうが良かったのか、それともまだいてくれてうれしいのか…外はいい天気なのに、カイジにとっては爽やかな朝とは言いづらい。

「おはよう。やけに早いのね」

台所に立つのは母でなく姉である。母が働いていたので、姉が食事を作る機会は多かったが、休日はいつも母が作っていたはずだ。自分がいない間に無言の約束が変わったのか、それとも遠藤の前でいいところを見せたくて、朝食の支度をしているのか…なんにせよ、今は姉が背中を向けてくれているのがありがたい。

「遠藤さんとは仲直りできたの?」

牛乳を飲もうとグラスを取ったカイジがそれを落としかけ、慌てて遠藤がそれをキャッチする。

「え…ケンカなんか…」

「そう?昨日お風呂とかで、なんか言い争っていたみたいだったけど…」

「あ…ああ、それは…急に入ってこられたから、驚いちゃって…」

いろいろやましいことがありまくりなので、心臓は大音量でビートを刻むが、普通のケンカだと思ってくれてるのなら、それにあわせなくてはならない。

そのうち母も起き出して…ああ、お客様がいるんだったわと、髪と服をなおして食卓に着く。

きっと遠藤の好みなのだろう…朝はいつも、パンとサラダと目玉焼きと夕食の残りしか並んでいたことはないのに、ご飯とみそ汁とアジの開きが並んでいた。みそ汁に浮いているネギがなにやら多い気がするが、遠藤は好きなのかもしれない…

好きな相手の好みをリサーチして、それに合わせる姉がかいがいしく、そして哀れでならない。自分と姉、実際のところどちらが本気なのかわからないが、彼女の夫となる人は、いわゆる二股をかけているのだから。

ずずずーっと、みそ汁をすすりったカイジは、眉をひそめる。味がなにやら甘いのだが、具がみそ汁の具としては、絶対におかしい…

「姉ちゃん、これ…」

「ああ…ごめん。なんかの拍子におかずを落としちゃったのね。毒じゃないんだから、食べちゃえば?」

何が入っているかもみないうちに、そうまくし立てながら、悪びれもせず笑ってみせる姉の態度と、今日の朝食には並んでいない混入物…そして、存外に多いネギはおそらく目隠しで、絶対確信犯だと思うカイジだが、母や遠藤の手前もあり、「ドジだなぁ、姉ちゃん」とおどけてみせるが、内心冷や汗たらり。

混入物はウィンナー。確かに毒ではない。毒ではないが、器用にも形状に細工がなされてある…つまり、アレ。

摘み上げてまじまじと眺めているわけにもいかず、もしかした自分が幻覚をみているのかもしれないと、一気に口の中に放り込んだものの、咀嚼した瞬間、本気で口が驚いた。そのウィンナーには練乳が仕込んであったのである。

絶対、バレてる…

カイジは確信した。そして決意した。

遠藤がとにかく決着をつけるまで、自分はここには戻らない。

もしも建設予定だという新居なぞに足を踏み入れようものなら、この分だと、少し前にお昼のドラマで出た『たわしコロッケ』が自分の前にだけ並びかねない…ドラマなら笑い話だが、自分がやられたら、そこまで病んでしまった姉の精神と自分の状況がいたたまれなくなってしまう。とりあえず、ケータイは遠藤に買わせよう…少なくとも、自分と姉に摩擦を引き起こしてる悪要因なのだから、それくらいの出費は当然…

この決意により、実家の自室に引きこもるという展開はまぬがれたものの、そのしばらく後に、坂崎家の立てこもった客となるカイジであった。